2020年8月 5日 (水)

遺書の下書き

明日、右上の親知らずを抜歯する。
数年前に左上の親知らずは抜いたから、その時の経験から言えば道路工事のような音と頭蓋に打ち込まれるような衝撃さえ耐えればなんとかなると思っている。でもE子に遺書を書いておけと言われたので、ここに書いておこう。なんせ、2月末に肺炎をやった時は、これはまずい、もたないかも、あの世からのお誘いが来てるけど、何の準備もしてないと慌てたのだから。

遺書。
みたいなもの。

多分、この世を去る時というのは、どんなタイミングであっても納得いかないし、正しい時なんてない。そして全て途中のまま、何かを成し遂げた気持ちもなければ、やりたいことは全てやったという思いも持てないまま、ふと終わってしまうのだろう。

ほんの些細な時間、タンパク質や水分やカルシウムやその他もろもろが集まって、なんとか私を形作って、燃焼して、この世にいた、それだけのこと。また分解されてどこかへ彷徨っていくのだろう。

なんだかんだと反目し合いながらもずっと頼りにしてきたE子。

毎日小さく大きく喧嘩しつつも、離れることができずにいる母。

頓珍漢なことばかりでなんだかなあとため息つくことが多いけど、穏やかさという意味ではピカ一の父ちゃん。

大好きな猫や犬。

信頼のおけるたくさんの友達。

It’s my life.

これでいいんじゃない?

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2019年10月 9日 (水)

3/23-4/25 チーバくんちへ

1ヶ月ほどの千葉県滞在記。

甥っ子がこの世に出てくるのをひたすら待つのが今回のお仕事。姪っ子は予定日よりずいぶん早く、確か10日間ばかりフライングして出てきたので、2人目は通説だと早まると聞いていたこともあって、予定日前に十分な日数を設定していったのだけど、豈図らんや、なかなか出てこなくて、結果予定日ドンピシャで産声を上げることとなった。そもそも予定日が間違って早く伝わってたので、余計に長く待つこととなり、生まれてから数日で撤収で、新生児をあまり見ることなく帰ることになった。ま、そんなこともあるさね。

姪っ子は妹が欲しいと前々から言っていて、望んでいた赤ちゃんを目の前にしてもまだ妹が良かったと言っていた。現実には甥っ子の股間にはしっかり1セットのちんちんたまたまがあるので、諦めてもらうしかない。ただ、性別を選ぶのは本人次第ではあるから、そのうち妹になるかもしれないとは言っておこう。

1ヶ月もひとところにいれば季節は変わる。寒さに震えながらも桜が咲き始め、満開となり、散っていった。ポカポカ陽気の日には公園にお花見に行き、そこでハハはオニコとローラー滑り台の立派なやつを何度も何度も繰り返し滑って、尾てい骨を痛めていた。オニコもお尻痛いと言っていたものの、2、3日で完治。対してハハは完治までに何週間もかかっていたから、子供と遊ぶのは命がけだ。

オニコの初めての映画館での映画鑑賞にも一緒に行ってきた。何を観たかと言えば、プリキュア。どうしても観たい、どうしても!と頑固ちゃんぷりを発揮し、臨月の人に高速を運転させていた。

この時に観たプリキュアはずいぶんと粗いストーリー、絵もなんだか手抜き感のあるもので、オニコも終わった後、無言でいた。

オニコはみきしゃんは何にもできないね、まだ歩かないの?と言ってくる。いつまでこれを言うかなと目下観察している。オニコなりに私とのじゃんけんは声と手でやるとか、一緒に部屋にこもってプリンセスごっこをセリフのみでやるとか、アレンジして遊んでくれるから、多分こんな関係でいいんだと思う。そりゃあね、一緒にわーっと動いたり何か作ったりできた方が楽しいわけで、オニコの中ではみきしゃんはつまらない人とあるのも仕方ない。あほなおばちゃんになりたい身としては、そこら辺が残念だけど、たくさんのことを望んでも仕方ない。

甥っ子は、さて、どんな人になるかしら。彼の人生は始まったばかり、真っさらな未来が羨ましい。

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2019年7月 9日 (火)

ウシオ石垣市民卒業

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ウシオの死亡届を市に提出した。
犬鑑札と狂犬病予防注射済票は思い出として残しておいても良いらしいので、出さないでおいた。どのみち今年の狂犬病予防注射は受けられなかったので、この鑑札はもう効力はない。

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2019年6月27日 (木)

青空の下

ウシオを土に還すことにした。

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この家は人の手に渡るかもしれないけど、ウシオの体は生まれ育った石垣から離さないことにした。

青空の下、湿り気を帯びた空気の中、庭のアボカドの木の脇に寝かせた。

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ゆっくりおやすみ。

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大好きなウシオくんへ

2019年6月26日午後23時27分、ウシオはこの世を卒業しました。

ゴールデンウィークのさ中、沖縄本島の病院に行って診察を受け、細胞診の結果、メラノーマの可能性大という悲しい知らせが届いた。手術でとるにはもう上顎の腫瘍は大きすぎ、しかもリンパまで転移していて無理だった。一泊二日の飛行機を使っての診察を、ウシオはひとことも発さず、素直に、お利口さんにやってきた。まるで人間のように、当然の顔をして那覇空港のエレベータに乗ってる姿を想像するとちょっとおかしくなる。

5月はまだ食欲は普通にあって、散歩にも普通に行っていた。タコ助に、おれのご飯に手を出すなよといういつもの脅しもかけていた。タコ助は別にウシオのご飯に興味あるわけでもないから、残念な脅しなんだけど、そんな姿を見るとまだまだ大丈夫と思えた。腫瘍は頰を貫き、どんどん増大していたけど。

6月に入って、だいぶ体が痩せてきているのが目につくようになった。食べているのに痩せていく。ガンに栄養を持っていかれているのが悲しかった。

そして食欲そのものが減り始めた。1日2食が朝食べなかったり、半分だけになったり。体重は15.4キロまで落ちた。元々20キロ近くあってまるで段ボール箱のような体型と揶揄されていたのに。合わせて散歩で行ける範囲も狭くなった。

6月20日、コナツが亡くなった。

ウシオはまったくご飯を食べなくなった。2回、マグロは食べた。燻製にしておいた塩漬け豚も数切れ食べた。ヨーグルトを舐めた。AD缶をシリンジに詰めて食べさせた。フィラリア予防薬はぺろりと食べた。少しでもカロリーを取って欲しかった。

6月25日、ヨーグルトを見せても顔を背け、歯を食いしばって何も口にしたくないと言った。立ち上がってその場から逃げた。あぁ、これは最後通牒だなと思った。朝、犬歯を一本吐き出した。

お昼頃、すくっと立ち上がっておしっこにいきたいと言った。もう何日もまともに寝ていないようなのに、意識は常にクリアだった。

水だけは大量に飲むので、これではさすがにバランスが悪かろうと、夕方、皮下で体液と同じ濃度にしたリンゲル(?)を補液した。

夜は外に出て、おしっこするにも、ちゃんと出なかった。

目をキョロキョロさせて、上目遣いにする、ウシオらしい表情は健在だった。

深夜も水飲みに風呂場に来たり、うろうろしていたりした。

6月26日、相変わらずヨーグルトを見せても口にしようとしない。仕方ないね。ぐしゅんぐしゅんと鼻腔からの膿と血液の混じった液を出す日々。腫瘍は左側の顔をずいぶん変えてしまった。静かにうつ伏せになっていた。夕方、補液。しばらくすると脱水が少し良くなったのか目に潤いが戻り、動きも良くなった。

ときどき呼吸の音がハーハーと大きく聞こえるようになった。

22時過ぎも気になる呼吸音。それから半時間ほどして、ゼーゼーしながら立ち上がり、風呂場へ行こうとしてへたる。顔色がものすごく悪い。悪い予感がする。明け方あたり、危ないのかなと思った。二階からきっちょむさんを呼び、お風呂に入っている間、付き添いを任せる。

そして、ウシオは旅立った。

何気にウシオはきっちょむさんに忠実だったから、その時を一緒にいたのがきっちょむさんで良かったのかもしれない。

タコ助はびっくりしていた。いつもならスリスリしにいくのに、横たわるウシオを見て、は!っと跳びのき、どうしたの?と言わんばかりに手でウシオの手にちょんちょんと触れて、すぐに離れた。そして机の上からじっとウシオを見つめていた。

一夜明けて、まだウシオの不在に感情がついていかない。

とにかく寂しくて寂しくてたまらない。

柔らかなその垂れ耳をくしゃっと丸めることがもうできないんだな。

この島に来て間もなく出会ったウシオくん。ここでの生活を共にしてきたウシオくん。一緒にビーチに行き、ドライブに行き、泳ぎ、バンナを歩き、楽しかったよね。

次の場所でも一緒に暮らしたかったよ。

ちょっとビビリでへたれで、慎重で、優しくて、怠惰で、お目々キラキラで、きれいなお姉さんが好きで、きれいなお姉さんじゃなくてもとにかく人間が大好きで、コスプレすると目が死んで、タコ助には偉そうで、ギンには道を譲り、泳ぎが得意そうでいて実は波打ち際を愛していて、車に乗りたすぎて運転席に座って、ボールをわざと隠して人間に取れとしつこく言って取らせて、ヨーグルトを人間が食べ終わる頃を見計らってその容器くださいと目で訴えて、でも一度もおやつくれ、ご飯くれとワンって言ったことなくて、ご飯忘れられたら悲しい顔してるだけで、よく猫をけしかけてあんパンを上から落としてもらって食べて、ノミダニ駆除薬は自らこうべを垂れて付けてくださいとベストポジションをつくり、献血犬として活躍し、夜は必ずハハのベッドで寝て、掃除機かける時だけ私のベッドに乗り、散歩はサボろうとして、声をかけてもなかなか出発せず、のんびり大きなのびをし、壁に寄っかかってヘソ天にして昼寝して、おもちゃは柔らかなボールが大好きで、でも子犬時代にあげた小さなボールも大事にしていて、どのおもちゃも大事に遊んでくれて、ベッドに乗せてはひっくり返って背中でぷーぷー音鳴らして喜び、お客さんに得意げに見せびらかして、ドライブに出かけた先で車から出た後、なかなか帰ってこないくせにドア閉める音させると自分だけ置いて行かれるんじゃないかと大慌てで戻ってきて、お手を何十回でもやってくれて、ああ、他にもたくさんウシオのこと書けそうだな。

そうだ、子猫やヒヨコ、子ヤギ、赤ちゃんにも優しくて、自分がこの子たちを守るんだと正義感に溢れていたな。

私はすぐにものごとを忘れてしまうから、ウシオの細かなあれこれを今のうちに書いておかないとな。

までも、とにかく優しくていいヤツだったな。

また会おうね。ウシオのこと、大好きだから。

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2019年6月18日 (火)

6/7-9与那国島②

6/8、朝ごはんをホテルでとり、同行のPちゃんは海底遺跡ツアーへ。戻ってくるまでゴロゴロ。

さて、今日はどこに行こうかとなり、アヤミハビル館をピックアップ、祖納の集落から山の方へ向かう。前回は閉まっていて入れなかったけど、今回はオープンしていた。建物外側はビオトープという看板はあるけど、あまり生きとし生けるものの気配はない。全体に気がない。。

が、中に入り、子供の絵の展示や、色あせたパネル展示を見たあとで、今季最初に羽化したアヤミハビルことヨナグニサンが羽を広げているのが目に入った。大きい。早朝に出てきてまだ数時間、時折ゆっくりと羽を開閉させる。脱皮は6回繰り返すらしく、それぞれの齢の幼虫もいて、これからしばらくは羽化が続きそうだった(実際、翌日も1頭羽化したらしい)。幼虫はロウ物質に覆われていて、白くつやっとした半透明感がきれい。羽化してからはご飯を食べることもなく数日で命を終える。大きすぎて森の中では木の葉に当たってそれほど距離を飛べないとか。大人になったらやることはひとつ、子孫繁栄のみ。

お昼は、わかなそばへ。

空港にじぃを拾いに行き、無事合流。

与那国の人口は約1700人。役場があって一番人口が多い集落が祖納。その集落をティンダバナの崖の上から見下ろす。町中にいてもあまり人に会わないけど、上から見ててもあまり動きはない。でも住んでる人たちが地域の行事で忙しくしているのは、新聞ややいまの記事から読み取れる。・・狭いから色々あるだろね。

夕方、与那国馬を飼っている方と約束して、馬を触らせてもらった。赤ちゃん時代からかわいがられてるだけあって、人慣れしていて、鼻をゴムのように伸ばされてもへっちゃら。馬と一緒に草原を駆けて、海に入る生活、いいなあ。

6/9、午前中、比川浜や山口陶工房さんを訪れ、残り時間は島半周。早めに空港に行って軽く食べたら、あとはぼけーっと待機。なんせ、日曜だからか空港の売店はみんな閉まっていて、お土産を格子の間から覗き見する以外することはないのだ。空港レストランも飛行機ある時間にしか開かない。この商売っ気のなさ、すてき。

与那国→石垣、帰路は離島割引を使って、5100円の空の旅、船旅のあとではそれはまるで瞬間移動。琉球エアコミューターのプロペラ機は低い高度で飛ぶから遊覧飛行の気分。ゆっくり飛べば石垣も大きな島に思える。Pちゃんたちは夕方の便で石垣入り。

8年ぶりの与那国は自衛隊の駐屯地ができていて、官舎や山の上のレーダー群も造られていて、道もきれいになっていた。

6/1に国土地理院が発行した地図で最西端の場所が260m移って、トゥイシという岩になったそうな。ちょうど見てきたばかりで映像で映ると、周囲の雰囲気と合わせて思い出される。タイムリーだ。

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6/7-9与那国島①

与那国島にいってきた。

2011年4月についで 8年ぶり、2度めの訪問。

行きの石垣→与那国は、4時間の船旅。

私の今回の旅のメインはこの船旅にあって、とにかくどなん(渡難)を体験してみたかった。あと、前回は梅雨入りの日に当たって、雨に烟る景色しか見えなくて消化不良だったので、ちゃんと消化したかったというのもある。

船の切符は当日朝に売り出し、片道大人3550円なり。キャビンは椅子席、ベッドルーム、床に寝られる部屋、ソファと色々揃えられていて、好きなところにいて良し。トイレは広々きれいで車いすでも余裕に入れるユニバーサルトイレも完備。シャワーもあったけど使えるようにはしていなかった。6/7は乗客は全部で10数人だったから実質貸切みたいなもん😍

この航路の船は以前はゲロ船と呼ばれるくらい揺れるので有名だったけど、新船になってからはスタビライザーがついてマシになった模様。この日は波が穏やかで全然と言っていいくらい揺れなかった。西表の北を通過してからはどうかなと思ったけど、全然。ちょっと物足りない気もしたけど、酔わないで済んだからよしとしよう👍この日は船酔い以前に朝の呼吸の状態がいまいちで、CO2が多めのときのえずきの方で涙目だった。

道中、カツオドリが船について飛んでて、海中に魚を狙って突っ込んでく様子が見えて面白かった。

フェリーよなくに、久部良港に入港。
船への乗降は車いすでも問題ないのだけど、前もって言っておかないとエレベータ前が与那国に運び込む物資で埋まって使えない。それこそ軽油やコンテナや各種段ボールの山だから、ちょいとどかして、というわけにはいかない。しばし待って、エレベータで貨物の階に下り、
下船時に切符を船員さんに渡して船旅はつつがなくおしまい。

与那国は晴れ。暑い。

宿泊先ホテルは、アイランドホテル与那国。

港に迎えを頼んでいたので、ホテルの車に乗り込む。チェックインしてホテル向かいの米浜レンタカーでパッソを借りる。まずは島の東側に向けて赤い車でドライブ。お墓群の道が以前よりきれいに舗装されている。与那国では西側が死者の国ではないんだなとふと思う。

東崎は馬さんがたくさん草を食んでいる。仔馬もちらほら。

一旦ホテルに戻って早めの夕飯を済ませてから、今度は島の西側に向けて出発。日本で一番最後に沈む夕日を見に行こう。6/7は19時35分05秒なり。水平線の上には残念ながら雲がかかっていて、日中はあんなにギラギラ照りつけていた日差しももう翳り気味。かと言って雲が真っ赤に焼ける条件でもなく。西崎で風に当たって涼んで、1日目おしまい。

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2019年6月10日 (月)

毎月10日はノミ・ダニ駆除薬(6/10)

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2018年10月17日 (水)

9/19〜10/12、チーバくんちへ

9/19〜10/12、5月に次いで再び千葉県民になってきた。まだ気温は暑かったけど、曼珠沙華が畔に咲いていて、秋らしい風景を見てこれた。金木犀をかぎたかったけど、台風にやられて香りが飛んじゃっていて残念賞。

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3週間ちょっといたけれど、房総半島から出ることなく、姪っ子さんにみっちり遊んでもらってのんびり過ごしてきた。

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メインの目的は彼女のお誕生日を祝うこと。

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4歳、おめでとう。ケーキを前にひとことどうぞと促したら、嬉しくてドキドキする、感動して涙が出ると言っていた。プレゼントを開けてのひとことは、自分が大好き、みんなのことも大好き、だった。自己愛、博愛ともによく育っているようで。

滞在中、山女には2回会って、1回目の三連休では、一緒にお買い物、そして地魚がおいしいお寿司屋さんでご飯。2回目の三連休では、鴨川シーワールドで現地集合して、一緒にシャチやアシカのショーを見て、ペンギンちゃんのポシェットとセイウチさんのぬいぐるみを思い出のお土産にそれぞれ持ち帰ってきた。シャチやイルカのショーは先進国ではもう過去のものとなりつつあって、そのうち日本でも見られなくなるんだろう。実際、シャチがほんとは美しい着水で余分な水しぶきなんてあげる必要ないところを、無理矢理腹から落ちて派手な水しぶきをあげることを、餌と引き換えにやらされているのを見てると、正直、奴隷だよねという感想が漏れてしまう。トレーナーのお姉さんたちのシャチとの息の合ったパフォーマンスは、そりゃあ、空を飛んでるようですごいし、シャチに乗って水面を走るなんて、一度はやってみたい夢だけど。

水族館のお土産コーナーに並ぶ商品は、誰をターゲットにしているんだろう。子供向けにしてるのか、チープなデザインのものが目につくけど、子供見てると全然興味持たれていない。

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ごっちゃりカクレクマノミ。全部オスでしょか。海ではありえない光景に脳がついていかない。

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ニシキテグリが簡単に見える。

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リーフのない海は潮騒がちょっと怖く感じられる。

千葉市美術館にも行ってきた。

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(上記2点画像は千葉市美術館HPより)

私の知らない時代に生まれた、つくり手たちのヒリヒリするような主義主張を浴びてきた。

角度によって色が変わって見える球やハイヒールがシンプルに面白かった。

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鋸南町の保田にもPちゃんたちと行ってきた。ここでも地魚を食べる。

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保田小学校の校舎を利用した道の駅。

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今回は、千葉に行く前に母が風邪を引き、それを私がもらい、さらに二階のリサーチャーたちにも移り、ちょっとした局地的なパンデミックが起きていて、私はまだ痰が残り完全に治りきらないまま飛行機に乗らざるを得ず、なかなかにきつかった。羽田から居候先に行く車内でも窒息しそうだったし、もう治ったからいいだろうと、韓国料理屋さんでスンドゥブ食べたら痰が再び出現して、帰りの車内で文字通り死にかけた。

人として成り立つ最低限の筋肉が欲しい。

島の家に帰ってきて、のびのび。とはいえ、離れていた間に体が変形したから、それまで使っていたものが使いにくくなっていて転ぶ、落ちる、倒れる。ただひたすら、面倒くさい。

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アップルパイおいしかった。

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アローカナ4人娘

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空室になっていたニワトリ小屋に新たな入居者がやって来た(10/14)。アローカナ娘4人組。当初は一夜限りのお泊まりの予定で3羽がゲスト宿泊しに来たのだけど、これだったらまた飼ってもいいのではないかと賑やかになった小屋を見て思い立ち、翌朝、1羽は別のところに行き、2羽別な子が入った。

この子達の仲間は10数羽、あの世行きを言い渡され、すでにお肉となっている。うち1羽をいただいたので、チキンスープにすることにした。

あの世行きを手伝ったYは、レバーペーストと蒸し鳥と体内の卵黄、いわゆるキンカンをキャベツと炒めた品を作った。

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みんなでありがたく鶏さんをいただきました。合掌。

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