セピアに染まる8月
なんだかずーっと雲が出っぱなしだった島にようやく高気圧が戻ってきた。
パーン!と爽快に晴れて8月がスタートした。
柴犬は相変わらずうちに居着いている。ウシオについて散歩に出てつかず離れず、そして一緒に帰ってくる。「おすわり」っていうと、おすわりする。懐っこいし、かなり賢い。早く自宅に帰っておくれー!
ばあちゃんとの同居も4ヶ月になろうとしている。記憶力ほぼゼロ(通院日とか大事なことは覚えてるっぽい)、常に北海道での少女時代に戻っている人と、毎日毎日付き合うのは相当なストレスになる。ハハは朝からぶち切れていることもしばしば。まあそれは、記憶力のない人に対してというよりは、そこから来るもろもろの始末を一切フォローできていない上に、とんちんかんなことを言うばあちゃん息子に対してでもあるけど。
介護保険制度が始まって10年だそうな。嫁が義父母の世話をして当然っていう時代はつい最近までだったのね。しかもその名残はまだ濃いし、家族が面倒を見るというベースは今以ていきている。こわいわあ。
実質もう手伝いができないばあちゃんは、自分ではできると思っているので、とかく手をだそうとする。せめて自分のことをやってからにすればいいのだけど、どちらかというとパフォーマンスで手を出す。ハハが台所に立つとすかさず「まあ大変ねえ。まあ!まあ!お手伝いさせて」。ハハは当初はやらせてみたけど、会話を理解する能力がだいぶ落ちているので、やっぱりできない、というのが続き、「座ってて」という。すると「申し訳ない、ごめんなさい」と謝り続けるばあちゃん。それを毎日やる。ハハ、くたびれる。
一緒に住んでみてよく分かったことだけど、うちのばあちゃん、自分のテリトリーを異常にきれいにしたがる。必要なもの以外一切置きたくないのだ。ゴミはもちろん、一時的に置かれる、たとえばなにかの箱とか未読の新聞とか。で、テリトリーをまっさらにするということはそこに置かないものはどこかに追いやられる。忘れられる。・・・探し物はなんですか♪、になる。私たち、くたびれる。
ばあちゃんの脳から、おじいちゃんのことはデリート済み。私はばあちゃんの日記で文通をしていることになっているので、そこはかとなく結婚生活について質問しているけど、完全無視。会話に自ら出したことが一度もない。タブーのテーマっぽい。お見合いではなかったのにね・・・。おじいちゃんが毎日書いて送ったというラブレターも存在すら忘れてる。(ちなみに日記はさんざん書くのを嫌がって毎回激しく拒否するから、もういいやと関わるのをやめたら、あるときから「書いたのよ。見て。でも字が下手で下手で。」と言って私に見せるようになった。挙句、これだけが楽しみです、って。そして毎回下手で下手で。ま!あなたのは上手ね、を繰り返している。)
日によって、孫は私とエミコだけになる。思い出させるとまだ何とか他も出てくる。名前は消えてることが多いが、存在自体は覚えている。そのうちみんな忘れるのかしらん。
とりあえず、怒涛の「繰り返し」を繰り返している日々です。このタイミングでこのセリフがというのも決まってます。ご飯が美味しい時は、「84歳がこんなに食べるなんておかしいわね。いくらでも食べられるわね。みきたんはいいわね、こんなおいしいごはんが毎日食べられて。うわっ、こんなに種類がある!(2種類あればいっぱいになります)」。辛い時や見慣れぬもののときは「みきたんはこういうの食べるの?」。
この「繰り返し」に付き合わないで済んでいる他の孫の立場がうらやましいわ。私、エネルギー吸い取られまくってます・・・。他の人達は一切電話すら寄越さない・・・・・・・・・。ついにエミコも話さないもんだから、「今年話してない」って言われている。(※GWに会ってるけどね。)
↑毎回のように持ってきて見せる写真の一部。
そんなばあちゃんに「みきたんはいつも元気でいいわね」と書かれてます。
女優ですから。
外に出たい。
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