札幌に行ったらおじさんにぜひとも聞いておきたいことがあった。ヨシダさんというひとに心当たりはありませんかと。
おばあちゃんが6月になってだいぶ言動に怪しさが増してきた頃、ふとこんなことを漏らした。
私が結婚したのはヨシダさんというひとだったのよ、と。
えええ、ここに来てまさかの「秘めた人」の存在が明るみに?ヨシダさんって誰、誰なんだと、それを聞いた私たちは一同びっくりした。
おばあちゃんに聞き返しても的を得た答えが出てこなくてますますヨシダさんのことが気になった。程なくしておばあちゃんはあっけなく他界。火葬場でお別れの言葉を掛けるときに「おじいちゃんのとこに行ってね。間違えないでね」とハハは言っていた。
札幌でお寿司をつまみながらずばり聞いてみた。すると。
何でそんな名前知ってるの?と驚きつつ、もしかしたらと教えてくれた。
それはおじいちゃんが札幌の学生であったとき、下宿先で隣家のお茶の先生のところに来るおばあちゃんに惚れたことに始まる。都会っ子なおばあちゃんのハートを射止めようと、田舎の農家から出てきた屯田兵の三代目は頑張った。毎日毎日手紙を寄越して、その日その日のできごとなんかをひたすら綴った。おばあちゃんは変な人と思い、後年そのことを聞くとつまんない手紙だったのよとにべもない感想しか持っていなかったけど、何にせよおじいちゃんは手紙を書き続けた。おばあちゃんの家族もこれはどうしたらよいものかと半ばあきれ、お見合い全盛期の時代に半ばこれに困惑し、おじいちゃんの熱烈アプローチに仕方なしに対処することにした。おじいちゃんが以前語ってたことは、戦争で男性自体が少なかったから女性がわんさか寄ってきたんだけど、おばあちゃんにしたんだよと余裕さを思わせるようなこと。おばあちゃん側の家族から感じた温度とはだいぶ違ってると今なら思う。
とにかく、アプローチに対処すべく、両方の人柄をある程度知っていた近所のヨシダさんというダリアの卸をやっているおじさんが呼ばれ、話し合いの席を設けた。おじいちゃんは悪い人ではない、大丈夫、ということで、おばあちゃんもそれならこの人にするかと心を決めヨシダさんを仲人にしてめでたく結婚と相成った。
なるほど、それでおばあちゃんのちょっと混乱した頭の中でヨシダさんという人が思い出されたわけだ。なるほど、おじいちゃんがダリアに詳しく、埼玉でもよく咲かせていたんだ。
さて、そんな話を聞いてから今度はおじいちゃんの出身地である北見に向かった。そしたら、ふとしたときにおじいちゃんの妹が突然「ヨシダさんのダリアがさ」と切り出した。
えええ、こちらから何も言ってないのに、これは何か読まれたか。
曰く、ヨシダさんからもらったダリアが庭で咲いている。毎年咲かせては冬が来て土が凍る前に掘り出して、球根が凍らないように温度管理してある倉庫において、また翌年庭に植えているんだ。以前はもっとたくさんあったけど、場所もないからだいぶ減らしてるんだ。
いったい何十年生きているのか、軽く5、60年は生きているダリア。北見で今年も綺麗な花を咲かせていた。
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