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2022年9月24日 (土)

8years at the speed of light

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茨城に行ったら鰻でしょ

何年ぶりだろう。

茨城にお墓参りに行ったら必ず寄る利根川の土手の脇にある川魚店。子供のときから続いていた年に一回のお楽しみの鰻。

注文してから、さばいて焼き上げてもらう。母が行けば告げてもないのにパックに名前が書いてある。

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いつも白焼きで買ってきてついてるタレを使って味付けする。昨今の価格高騰でここの鰻も倍近い値段になっている。

数年ぶりの味は、やっぱり極上!

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2022年9月23日 (金)

古民家見納めの旅

 8月に母の親戚から手紙と2枚の古い写真が送られてきた。手紙には、近々母の生家が工業団地に取り込まれ、取り壊されることになるとあった。

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母の父と妹。私は初めて母方のおじいちゃんの顔を知った。

 

取り壊されるのが一般的なちょっと古い家だったら、私もそれほど興味は湧かないけど、この家は築100年超えで金釘も使われていなければ、大黒柱も梁も敷地から切り出された欅の丸太でできていて、農村地域のいわゆる豪農を象徴するようなつくりで、これがなくなってしまうとあれば見納めをしたいという気持ちになるもの。こういうのに端から興味のない妹は「は?それってわくわくドキドキすること?子供に見せたい?何を勝手に妄想膨らませてるの?」ってめっちゃせせら笑ってたけど、そこをなんとかお願いして、9/18に車を出してもらった。

 

当日は台風が列島を通過するとあって天気予報は終始雨。朝9時前にどんより空の下、茨城に出発。アクアライン、首都高を通って久々にアサヒビールの金のうんちを見て、常磐道、守谷のサービスエリアで一旦トイレ休憩、つくばジャンクションで圏央道に入り、坂東で高速を降りた。途中少し雨がポツポツきたけど、頭上は明るい。

 

11時過ぎ、目的地に着いた。何年ぶりだろう。東日本大震災のあとに1回(母はもう1回)は来ているけど、その時は敷地にぐるりとロープ張ってあって中には入れず仕舞いだった。今回は鍵を持っているのが母の叔母と知らされていたので、連絡して開けてもらえた。

 

子供のときにお盆で来ていたけど、憶えているのは、縁側に座って足をブラブラさせながら赤茶色の砂地にいくつもある蟻地獄を眺めていたことと、お供え物が並ぶ仏壇の脇でくるくる光って回る提灯くらい。茨城のキツい印象の訛りもか。

 

母の叔母も母もこの家で生まれ、この家で育った。叔母が15の時に生まれた母はよく泣くうるさい赤ん坊だったらしい。

 

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瓦屋根もガラスも崩れていない。


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この縁側に座ってたっけ。

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農作物を乾燥、貯蔵していた納戸

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トイレ。4つある

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泥棒が2階から紐を垂らして袋をおろしていたところ

家はひいおじいちゃんが93まで住んでいたけどその後は空き家になっている。約30年の間に中はすっかりゴミ屋敷と化していた。広い土間にはベッドらしきものが2台並んでいてちょっとホラー。腰くらいの高さがある上がり框の先には、目玉が書き入れられてないままの大きなだるまに金ピカ布袋様。

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4つ並ぶトイレのドア

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立派な梁

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大黒柱


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欄間

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電気がない時代に建てられた家は配線がむき出し

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基礎には柱が乗ってるだけ。
関東大震災も東日本大震災も生き延びた。

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井戸
庭はとにかく広く、母が半世紀以上前に父と植えた木は大きく育っている。

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竹林


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大工さんが住んでいた小屋。戦時中は疎開してきた親族が住んでいた。


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ひいおじいちゃんは1900年生まれ1999年没。
勲五等いただいて嬉しくて自分の名前彫っちゃった石碑。
取り壊しとともに消える運命。後の世に発掘されるのかも。

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大叔母は気遣いしてくれる人で冷えたペットボトルを用意していてくれたり、雨が降り出す中見送ってくれたりした。ひいおじいちゃんにまつわる話も、自転車乗ってって山で寝ては村人に起こされるとか、苔とってきて売ってたとか、庭の梅で梅干しつくったらかびちゃったとか、たくさん聞かせてくれた。


農村から人が消え、静かな静かな町にある古民家は誰の目に留まることもなく、100年の歴史に幕を閉じる。

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2022年9月12日 (月)

詩集『みきちゃんのチョロギ』

みきちゃんのチョロギ 1

 

はたけには、みきちゃんのチョロギがあります

 

わたしは、みきちゃんのために、ざっそうをとります

 

チョロギもざっそうも、いっしょうけんめいいきているのに

 

ざっそうは、むしりとるように、おかあさんがいいます

 

がっこうでは、みんななかよくというのに、ざっそうはさべつされています

 

でも、わたしは、みきちゃんのためにチョロギをまもります

 

Chorogi

 

みきちゃんのチョロギ 2

 

あさから、あしのつけねがへんなんだ

 

なんだろうとかんがえた

 

きのう、みきちゃんのチョロギのために

 

ざっそうをとったからだ

 

ざっそうさんもいたかったんだね

 

by C

 

LINE開くとゾクッとするんですよね。。

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2022年9月11日 (日)

英連邦戦死者墓地

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英連邦戦死者墓地(Yokohama War Cemetery)でお墓参りをした話。

9/1にメルボルンのおじちゃんから1通のメールを受け取った。いつものギャグ混じりのメールかなあと開いたら、そこには「家族のルーツを調べていたらこんな資料を見つけた」とあって、画像が添付してあった。

資料

祖父の兄弟がどうやら戦時中に日本の捕虜となり、横浜に墓地がありそこに埋葬されているらしい。

Can you find out any information thru Japanese newspapers or articles which might shed some light on how he got to Japan and pictures of the headstone ?

調べてみよう。

英連邦戦死者墓地を検索すると、埋葬者のリストがあり、ビンゴ!名前や死因などが掲載されていた。

横浜のぴろみちゃんに連絡すると、時間あったら墓石探して来るよと言ってくれて、ほんとに行ってきてくれた。

9/10、川崎の病院に行きがてら、私も保土ケ谷区にある戦死者墓地に行ってきた。当日はすこーんと抜けるような青空で焦げるような暑さ。1時にぴろみ&じぃと墓地で待ち合わせした。墓地は丘の頂にあって急な坂道を登っていくと、木陰に潜むように門があった。

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丘の上は平坦で緩やかな傾斜がついている。ぴろみ&じぃが下見しておいてくれたから、目指す墓石までは迷うことなく行ける。正直この暑さと眩しさでは、ぱっと行ってオーストラリア区からひとつの墓石をたどるのは不可能だったと思う。先発隊に感謝!!

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墓地は芝生が敷き詰められ、とても良く手入れされているのが見て取れる。墓地を囲む木々は大きく枝を伸ばしていて年月を感じさせる。広々としていて静かで、すぐ脇に家々が密集しているのが信じられない。

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Thomas Peters
1917(1918とも)年8月16日生まれ。
サウスオーストラリアのカディナ出身、元農民でオーストラリア軍に入ってドライバーとして従軍。シンガポールで捕虜となり、福岡第17分所(大牟田・三池炭鉱)に収容され、1944年12月20日急性心膜炎にて死亡。

庭のダリアを摘んで墓前に供えてきた。Restin peace.

トーマス

メルボルンのおじちゃんには墓地の印象を書き、写真を送った。

ついでにアマプラで『サンダカン八番娼館 望郷』を見た。サンダカン死の行進にまつわるものもと探したけど簡単に見られるものはなかったな。

POW研究会
http://www.powresearch.jp/jp/archive/powlist/cemetery.html

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