'07東京&KL旅行⑤
ちょいと遠出をして古都マラッカへ行ってきた。KLから200kmほど南にいったところにある街。名前は有名なとこだけど、どんな街かなー。
マラッカの詳しい解説はこちらのサイトをどうぞ。出かける前の晩にジョンが持っていた簡単なパンフを見て覚えたのは、600年ちょい前にインドネシアから逃げてきたプリンスが港町についてここに居ついて王国を作った。その後、明のバックアップを得て栄え、中国人の男性と現地のマレー人の女性との間に子供が生まれ、ババニョニャ文化を形成、1500年代ポルトガルがマラッカを植民地にし、1600年代半ば今度はオランダがマラッカを支配、1800年代イギリスがオランダに取って代わり、太平洋戦争時代は日本が占領、戦争後はまたイギリス領に、とそのまんま世界史の大航海時代からの流れを歩んできたってこと。フランシスコ・ザビエルもマラッカを拠点に布教してたし、ラッフルズもこの港に来てます。ババニョニャは中国とマレーの生活様式が混ざったものだけど、あくまで中国の伝統を残してるってのがポイントかな。今は中国人がマレー人と結婚したらイスラム教になるのでババニョニャにはならないそう。街にはそれぞれの時代を象徴する建物が残っていて重層的な感じだそうな。
KLから高速に乗ってびゅーんと飛ばしていきます。出発したときにダスくんに「タクシーと車、どっちがいい?」と聞かれて目が点。「はい??」と聞き返しても質問してることはやっぱり「タクシーと車どっちで行きたい?」としか言ってない。「へ?何が違うの??」と聞けば、「エアコンの効きが違うからタクシーより車のほうがいい」という。「電車と車、とか、バスとタクシー、なら意味分かるけど、そういうことかー」「あー!そうそう」とお互い納得。後から思えばタクシーから車に変えときゃよかったのかも??
6つ星ホテルだよという立派なホテル。競馬場の脇にあるホテルです。高級らしいけど、なんか・・・チープ。。
喉が痛かったのでたまにマレー語を教わったりしつつ車中は基本おとなしくしてました。プランテーションがずっと広がっていて全部パームとゴムです。
高速のSAで休憩。
SAにもお祈り部屋は必須。
もうすぐだー。
料金所でお金を払って出ようとしたときです。あれ?エンジンが・・かからないぞ・・・。
ガス欠!!エンジンかけて3m進むとストップ。頑張ってそれを繰り返してなんとか料金所脇の駐車場に車を置くとペトロールを仕入れにダスくん電話をします。30分後、手に入ったガソリンを車に飲ませて、再出発。「怒っちゃった?」なーんてご機嫌伺いをしてくるダスくん3児の父。ほほ、ジョンに言ってやる(帰って即効告げ口しちゃったもんねー)。ガス欠でまったく動かなくなったタクシーなんてそうそう乗るチャンスないから許そう。(でもこれだったら出かけに「車」とやらに乗り換えときゃよかったかしらん)
観光の街になっていて、動物園や蝶園などのテーマパークもいくつかある。
ランブータンが鈴なりだーー。マラッカはドリアンの生産地でもあって季節になると道端にドリアン屋台が並ぶらしい。
ババニョニャ料理屋さんに入る。観光客向けって感じ。

ナシゴレン(名前忘れた)。うまい。
ポルトガルカレー。パイナップルとエビのカレーでした。
サテー。ババニョニャというよりは、単にまだサテーを食べてなかったなと思って。
ババニョニャの典型的な一品、オタッオタッ。魚のすり身にチリやいろんなスパイスを混ぜて焼いたもの。わたし、これ、だめでした。スパイスに苦手なのがはいってたもんで。。
ランチ後、100年200年たつ古い建物が並ぶ通りをお散歩。小雨が時折降ってきていたけど、暑くなくて外歩きをするにはちょうどよかった。

洋服やさんや雑貨屋さん、骨董品店、家具屋などが軒を連ねている。
あちこちにお寺がある。


マラッカ海峡。遠くに見えてるフェリーはインドネシア行き。今でも海賊が出ている海峡だよなー。
キリスト教会やザビエルチャーチ、セントポールなどなどをさらっと見て回る。
マラッカ終了。KLと違って建物に味があっていい街でした。
↑マレーシア名物カウトラック。近くで牛が休んでました。
KLに戻ってコンドの向かいにあるスーパーに行く。今晩はおうちでパスタだ。
・・・向かい側に行くのに信号求めて大回り。なかなかに命張ったぜよ。スーパーの食材は日本のものもたっくさんあってびっくり。冷凍さぬきうどんって需要あるん?コンド近辺が大使館だらけとはいえ、日本にいるのと遜色ないような品揃えでした。KLに日本人ってたっくさんいるからか。
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