くらえ猫パンチ
生きていく上で誰もが何らかの形で束縛を受けていくもんだと思うし、どんな形の束縛でもどこかで折り合いつけて逃げ出さないでいるしかないと思うのだけど、どうやら束縛されるとなるといやだいやだと駄々こねるなり、素知らぬふりするなりして逃げちゃう人もいるらしい。嫌なことをやらないで済むならそれに越したことはないけど、誰かがそれを貰い受けることになるのだけど。例えば私は私に束縛されて、ハハはその私に束縛されて、時計を気にせずに一時間過ごしたりどこかにふらっとでかけたりすることは一切ない。例えばハハいとこは実母を引きとってやっぱり時計を気にしながら生活をしている。小刻みの時間の中で折り合いつけて何とかやっている。素知らぬふりしてそういう束縛の一部でも負うことをしない人がうらやましくもあるけど、そういう人間には自分はなれないとも思う。そういう人の成れの果てがうちのおばあちゃんみたいなもんだと思うと、束縛の中でいろいろ思うことがあるのもいいことかもね。
もやもや感に猫パンチを。世の甘ちゃんにステキな束縛を。
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