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2013年8月13日 (火)

思い出し旅記-2013年7月

時間の過ぎ方に加速度ついちゃってて、脳みそがついていけてません。全てきれいさっぱり忘れちゃう前に、記憶の片隅に残ってる思い出を書き出してみよう。

台風ソーリックがはるか東から石垣目指して真西に移動していたのは7月上旬のこと。少しでも北進してくれれば良いものを、そんな気配なく直撃の予報が変わらない。7月14日に石垣を出る予定にしていたから、やきもきして予報を眺めていると、10日の時点で12日~13日あたりが最接近するとある。14日は大丈夫そうだし、7月台風なら9月台風よりは足が速そうだけど、万が一遅れたらアウトだ。パラパラとネットで空席チェックしてみると、11日の便はすでに空きはない。やきもきしながら島に残っているよりはさっさと出てしまえと、即断、ANAをキャンセルすることにして10日に就航したスカイマークに電話して、石垣→成田の直行便をとって、ハハはお客さんにごめんなさいして、荷物をまとめて空港へ行ったのだった。今回から飛行機に乗るにあたり、呼吸器を持ち込むために診断書がいるようになったから、何かと前以ての準備が必要なのだけど、ANA、JAL、スカイマークと3社分を医師に書いてもらってあらかじめFAXしてあったので、セーフだった。余談だけど、この診断書って各社共通にして登録しておいて、内容に変更がない限り、登録しておいたものを使えたらいいのにと思う。航空会社が法的責任を問われないようにするためなのは分かるけど、毎回搭乗日直前に病院に行って、書類作成をお願いし、数千円払わないといけないのって、結構な負担だ。そして今回のように急な変更をする場合、そんな悠長なことはしていられないわけで。ちなみにANAは呼吸器を持ち込むだけなら診断書はなくてもOK。

7月31日に島に帰ってきて知ったこのソーリックのその後を書いておこう。西進し続けたソーリックは八重山に到着、見事な大風吹かして海辺の車をひっくり返し、コンテナを飛ばし、知り合いのうちはリビングの窓が割れ、うちは浄化槽の蓋が消失し(一万五千円也)、停電させ、と結構な被害を出していった。帰ってきた時、行きは緑一色だった島が茶色く一変していた。飛行機も14日までダイヤが乱れていたらしい。やきもきするより、やっぱり脱出しておいてよかったと思う。

さて、逃げるようにして空港に向かい、就航初日のスカイマーク成田便17時15分発に無事乗り込む。サービスという点で何かとマイナスな噂のあるとこだけど、特になにということもなく、ガラガラの機内で横になることもできて、至極快適に成田まで行けた。所要時間は3時間。機内にある冊子には客を客扱いしない旨を記すお知らせがあって、前に座った人がやたらCAに相手にしてもらおうとしてたから、途中で床開いて降ろされるかと思ったけど、大丈夫だった。

成田に着いて、お迎えに来てもらったイモートに、泊まらせてください、お庭でいいんで、とお願いして埼玉へ。夜10時頃に埼玉のうちに着いた。3日間、ゴロゴロ。埼玉も立派に暑い。日差しは優しいもののアスファルトやコンクリートの照り返しがきつい。近所のタイ料理屋に行ったり、

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電車にてららぽーと行ったり。

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パンケーキ屋に入ってみたら、ビジュアル的に「?」となる一品が出てきた。

埼玉猫が監視する中、荷物整理をして、14日に再び成田へ向かい、空港内のホテルに泊まった。

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ここから女3人、サバイバル旅行が始まります。サバイバルってあえて言うのは、この中での内輪揉めが予想されるから。別段、無人島に行くわけでも、サファリをするわけでもありません。

目的地は東ロンドンとブリュッセル。2週間の旅です。

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出発前夜に食べた湯葉明太子パスタ。明太子という名の油の塊。これがパスタの熱で溶けて真っピンクになるというおしゃれなディナーでした。

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ホテルにおいてあったおみやげ宅配便のカタログ。どこのお国もマカデミアナッツチョコが一押し☆

つづく。

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